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神戸地方裁判所 昭和44年(ワ)713号 判決 1971年4月22日

原告

永田毅

ほか三名

被告

甲南建設こと浦川昭

ほか一名

主文

一、被告浦川昭は、原告永田和子に対し金三三五万六、四六〇円および内金三一二万六、四六〇円に対する昭和四四年六月二一日から、原告永田毅に対し金四六三万三、八四八円および内金四三八万三、八四八円に対する昭和四四年六月二一日から、原告永田徳治、同永田千鶴子に対し各金一〇万円および内金九万円に対する昭和四四年六月二一日からいずれも完済に至るまで各年五分の割合による金員を支払え。

二、被告後藤和は、原告永田和子に対し三三五万六、四六〇円および内金三一二万六、四六〇円に対する昭和四四年六月二二日から、原告永田毅に対し金四六三万三、八四八円および内金四三八万三、八四八円に対する昭和四四年六月二二日から、原告永田徳治、同永田千鶴子に対し各金一〇万円および内金九万円に対する昭和四四年六月二二日からいずれも完済に至るまで各年五分の割合による金員を支払え。

三、原告らの被告らに対するその余の請求をいずれも棄却する。

四、訴訟費用は、これを二分し、その一を原告らの連帯負担とし、その余を被告らの連帯負担とする。

五、この判決は、原告らの勝訴の部分に限り仮りに執行することができる。

事実

第一、当事者の求めた裁判

一、原告ら

「被告らは各自、原告永田毅に対し金九六九万七、二三四円および内金九四四万七、二三四円に対する訴状送達の日の翌日から完済まで、原告永田和子に対し金六五三万八、二一七円および内金六二八万八、二一七円に対する訴状送達の日の翌日から完済まで、原告永田徳治、同永田千鶴子に対し各金二二万円および各内金二〇万円に対する訴状送達の日の翌日から完済までそれぞれ年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言。

二、被告ら

「原告らの請求をいずれも棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決。

第二、原告らの請求の原因

一、事故の発生

訴外亡永田澄雄は昭和四三年一二月三〇日午後七時二八分ごろ、原動機付自転車(神戸灘二〇〇八、排気量五五cc、以下、原告単車という。)を運転して神戸市東難区本山町田中町の浦一二番地先道路上を西進中、おりから右道路上を同一方向に進行して来て右同所付近の交差点において左折南進しようとした被告後藤和の運転する、ふそうポンプ車(泉八す五七八、以下、被告車という。)と衝突し、その衝撃により澄雄は道路上に転倒し一時間後に脳内出血のため死亡した。

二、被告らの責任

(一)  被告浦川昭の責任

(1) 自賠法三条

被告浦川昭は被告車の運行に関し、運行支配を有するとともに運行利益をも享受していたのであるから、自賠法三条により運行供用者として原告らの受けた後記損害を賠償すべき責任がある。すなわち、被告浦川は、甲南コンクリートポンプ工業なる名称でコンクリート打設工事の請負を業務としているものであるが、右業務に使用するポンプ車のうち、口径の大きい四インチ車の業務に関しては自らこれに当り、口径の小さい三インチ車の業務に関しては、甲南コンクリートポンプ工業田垣班の名のもとに訴外田垣定安をしてこれに当らせ、同工業の受けた注文のうち三インチ車による仕事は右被告において具体的な指示を与えて右訴外人に担当させ、両者合まつて同工業の営業が維持できるようにするとともに、収益の一部を右訴外人に分配し、その代償として右訴外人より毎月八万円を徴収していたほか、訴外田垣に甲南コンクリートポンプ工業と表示された作業着を着用させ、同工業営業部長の肩書のある名刺を使用させていた。被告車は三インチ車であつて、その車体には甲南コンクリートポンプ工業の表示がなされており、その保管場所は甲南コンクリートポンプ工業の本店所在地の近傍である。被告車を運転していた被告後藤和と助手席に同乗していた訴外古館勉は、いずれも自己を甲南コンクリートポンプ工業の従業員であると認識している。以上、要するに、被告浦川は訴外田垣を経済的、実質的な支配下において、その企業活動の一部を担当させ、これを自己の手足として利用支配していたのであるから、訴外田垣担当部門に属する被告車の運行供用者に当る。

(2) 民法七一五条

仮に右主張が認められないとしても、本件事故は被告後藤が甲南コンクリートポンプ工業の受注業務に従事していた際惹起されたものであり、被告浦川は訴外田垣を介して被告後藤を指揮監督していたのであるから、被告浦川は民法七一五条により使用者として原告らの受けた後記損害を賠償すべき責任がある。

(二)  被告後藤和の責任

本件事故は、原告単車の荷台と被告車の左前車輪が接触したこと、接触地点は前記交差点より南へ一・四五米入つた地点であること、路面に残された原告単車の擦過痕は右地点より更に南西方へ三・九米入つた地点であること、被告車を運転していた被告後藤は前記交差点の二五・八米東方の地点で原告単車を発見していないこと、被告車が左折を開始した瞬間本件事故が発生したことなどの諸点よりみて、原告単車が被告車の左側前寄りの地点をこれと並行して進行中発生したことが明らかであり、かつ、被告車は前記道路の左端との間に一・九三米の間隔をおいて左折しようとしたものであるが、そもそも左折車輛は並進および後続の直進車輛に衝突の危険を及ぼさないため、道交法上においてもあらかじめできる限り道路左端に寄り徐行しなければならないことになつているのに、被告車はあらかじめ道路左端に寄ることもなく、徐行もせず、あるいは一時停止して左側方および後方に対する安全確認をしないで、漫然と左折しようとしたものである。よつて、本件事故は被告後藤の左側方安全確認義務を怠つた過失により惹起されたものであるから、被告後藤は民法七〇九条により原告らの受けた後記損害を賠償すべき責任がある。

三、損害

(一)  亡永田澄雄の逸失利益 一、五六七万〇、八五三円

亡澄雄は昭和四三年三月神戸市交通局職員に採用され、本件事故による死亡当時、市営バスの運転手として右交通局に勤務し、給与と賞与を合算して年間一一四万四、九三六円支給されていた。同人は死亡当時二九才の健康体であつたから、本件事故に遭遇しなければ少くとも満六三才に達するまでの三四年間にわたつて、毎年右同額の収入を得たはずである。よつて、同人の生活費を収入の三〇パーセント相当額とし、ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除し、次の算式により得た一、五六七万〇、八五三円が亡澄雄の得べかりし利益である。

1,144,936円×19,553×0,7=15,670,853円

亡澄雄の被告らに対する右一、五六七万〇、八五三円の損害賠償請求権は、原告永田毅が子として右金員の三分の二に当る一、〇四四万七、二三四円を、原告永田和子が妻として右金員の三分の一に当る五二二万三、六一七円をそれぞれ相続により取得した。

(二)  慰藉料 (合計三四〇万円)

原告永田和子は昭和三九年一二月九日亡澄雄と婚姻し、昭和四二年八月七日原告永田毅をもうけた。亡澄雄には右の安定した職場があつて将来を約束されていた。亡澄雄を失つたことによる精神的苦痛に対する慰藉料として、原告永田毅は一〇〇万円、原告永田和子は二〇〇万円、原告永田徳治は父として、同永田千鶴子は母として各二〇万円それぞれ支払いを求める。

(三)  葬儀費その他 七万五、一六〇円

原告永田和子は、亡澄雄の診療費として九、六六〇円、診断書作成費として一、一〇〇円、葬儀費用として六万四、四〇〇円、計七万五、一六〇円支払つた。

(四)  弁護士費用 (合計五四万円)

原告らは本訴提起のやむなきに至り、原告ら訴訟代理人に訴訟委任するとともに、原告永田毅、同永田和子は各自着手金として一〇万円(いずれも未払い。)支払うほか、判決後成功報酬として認容額の一〇パーセント相当額を支払う旨約した。よつて、弁護士費用は、原告永田毅、同永田和子は各二五万円、同永田徳治、同永田千鶴子は各二万円をそれぞれ負担することとなる。

(五)  損害の填補

自賠責保険により、原告永田毅が二〇〇万円、同永田和子が一〇一万〇、五六〇円それぞれ支払いを受けた。

よつて、原告らの損害は原告永田毅が右(一)(二)の合算額から右(五)の金員を控除した九四四万七、二三四円に右(四)の金員を加えた九六九万七、二三四円、同永田和子が右(一)ないし(三)の合算額から右(五)の金員を控除した六二八万八、二一七円に右(四)の金員を加えた六五三万八、二一七円、同永田徳治、同永田千鶴子がそれぞれ右(二)(四)の合算額二二万円となる。

四、結論

よつて、被告ら各自に対し、原告永田毅は金九六九万七、二三四円および右金員から弁護士費用を除いた金九四四万七、二三四円に対する訴状送達の日の翌日から完済に至るまで、同永田和子は金六五三万八、二一七円および右金員から弁護士費用を除いた金六二八万八、二一七円に対する訴状送達の日の翌日から完済に至るまで、同永田徳治、永田千鶴子は各金二二万円および右各金員から弁護士費用を除いた各金二〇万円に対する訴状送達の日の翌日から完済に至るまで各年五分の割合による遅延損害金の各支払いを求める。

第三、請求原因に対する被告らの認否

一、請求原因第一項の事実は認める。

二、同第二項の事実のうち、被告浦川が甲南コンクリートポンプ工業なる名称でコンクリート打設工事の請負を業務としている者であることは認めるが、その余の事実は否認する。

被告車は訴外田垣定安がこれを日本躯体ポンプクリート株式会社から買受けてその所有権を取得し、訴外田垣の従業員たる被告後藤和がこれを運転していたものである。被告車の駐車場にはもつぱら訴外田垣所有のポンプ車のみを駐車させており、訴外田垣は甲南コンクリートポンプ工業の受けた注文のうち、三インチ車の仕事についてのみ被告浦川から紹介を受けていたに過ぎず、工事代金も訴外田垣自ら注文主と交渉して決めていたし、右被告から利益金を配当したことはない。訴外田垣は被告浦川とは別個独立に営業しており、互いにその経営には関与していない。従つて、被告浦川は被告車の運行に関し、運行支配、運行利益ともに有しない。

三、同第三項の事実は不知。

四、同第四項の事実は争う。

第四、被告らの抗弁

一、免責の抗弁―被告浦川昭

本件事故は亡澄雄の過失により惹起されたものであつて、被告後藤和に運転上の過失はなかつた。すなわち、被告後藤は被告車を運転して前記道路を西進し、前記交差点で左折南進すべく交差点の約四八米手前で左折の合図をし、二五・八米手前で時速三〇粁に減速し、道路左端から約二米の地点まで被告車を寄せ、更に減速して進行し、左フエンダーミラーにより後続車輛の無いことを確認したうえ、時速一五粁で交差点に進入し、左折を開始した。被告車が左折南進すべき道路の幅員は四・八米しかなく、被告車は長さ五・五四米、幅員二・一〇米の大型車であるため、右交差点で左折するには、前記道路左端との間に約二米の地点まで車体を寄せるのが精一杯であり、更にそれ以上道路左端に接近することは運転技術上困難である。従つて、左折の合図をし、徐行し、車体をできる限り道路左端に寄せ、フエンダミラーによる後続車輛の有無を確認した諸点において、被告後藤は左折車に要求される注意義務のすべてをつくしているから、何らの過失も存しない(最判昭四五・三・三一判例時報五八九・八三)。他方、原告単車は、被告車が前記交差点で左折を完了し、南進すべき道路に一・四五米進入した地点で被告車の左前車輛に衝突していること、亡澄雄は更に右地点から南へ七・三米入つた地点に投げ出され、頭を強打していること、右衝突の衝撃音が大きかつたことなどの諸点よりみて、原告単車は高速度で進行して来て被告車に衝突したことが明らかである。すなわち、車輛は前車を追い越すときはその右側を安全な速度と方法で進行しなければならないのに、時速五〇粁を越える高速度(原動機付自転車の制限速度は時速三〇粁)で被告車の後部死角に当る地点に接近して来た原告単車は、左折の合図をし、道路左端にできる限り寄るとともに徐行している被告車の左側を漫然と右高速度のまま追い越そうとしたため、おりから前記交差点で左折した被告車の左前車輪に衝突したものである。従つて、本件事故は亡澄雄の右の安全運転義務に違反した一方的な過失により惹起されたものである。また亡澄雄がヘルメツトを着用していなかつたことも死亡の一因である。なお、被告車には構造上の欠陥も機能の障害も存しなかつた。

二、過失相殺―被告両名

仮に被告らの責任を否定できないとしても、亡澄雄には前項後段記述の安全運転義務に違反した過失があるから、損害額の算定に当り斟酌されるべきである。

第五、抗弁に対する原告らの認否

被告らの主張事実はいずれも否認する。

第六、証拠〔略〕

理由

一、事故の発生

原告ら主張の日時場所において、亡澄雄の運転する原告単車と被告後藤の運転する被告車が衝突し、その衝撃により路上に転倒した澄雄が脳内出血により死亡したことは当事者間に争いがない。

二、被告らの責任

(一)  被告浦川の運行供用者責任について

〔証拠略〕を総合すると、次の事実が認められる。

(1)  訴外田垣定安は、甲南建設、浦川設計測量事務所の各名称で建築設計および同工事の請負業務を営む被告浦川の従業員として、約一〇年間勤めた後昭和四三年一月独立し、運送業を始めたが間もなく失敗したので、おりから事業を拡張して甲南コンクリートポンプ工業なる名称でコンクリート打設工事の請負を始めていた被告浦川を頼りこれに相談して、中古コンクリートポンプ車一台を譲り受け、田垣商店名でコンクリート打設工事の請負を始めたものの事業は思わしく発展しないため、被告浦川に懇請して、右訴外人は被告浦川の営む甲南コンクリートポンプ工業の受注する請負工事のうち、三インチ車部門を、同工業名下に担当することとなつた。そこで、訴外田垣は右工事に必要なコンクリートポンプ車を右被告の斡旋により購入することとなつたが、その際、右訴外人には資力、信用ともにないため、被告浦川において形式上の買主となり、当時、訴外岩井高千穂株式会社に対する買掛金債務未済につきいまだ被告車に対する使用権を有するのみであつた訴外日本躯体ポンプクリート株式会社から、昭和四三年九月初めごろ登録名義書換え等の手続は代金完済後に行うとの約定のもとに、代金三〇〇万円(昭和四三年一〇月から毎月末三〇万円あて計一〇回払い、利息は二〇万円。)で被告車を買い受けた。右代金の支払いは訴外田垣の振出した約束手形に被告浦川が第一裏書人として署名した後、右売主に交付する方法によつたが、訴外田垣は右代金を完済した後、更に被告浦川に対し計一〇〇万円支払い、被告浦川は他の二名の者と斡旋料名下に右一〇〇万円を分配して取得した。

(2)  かくして訴外田垣は昭和四三年九月上旬ごろから、もつぱら甲南コンクリートポンプ工業の受注するコンクリート打設工事に従事することとなつたが、コンクリートポンプ車の生コン圧送能力は各一時間当り四インチポンプ車が四〇立方米、三インチポンプ車が二〇立方米であり、両車種により圧送能力に差異があつて、受注した工事の規模状況により両車種を使い分けることが最も効率よく右打設工事を推進することになるため、被告浦川は四インチポンプ車四台を、訴外田垣は右購入にかかる被告車を含めて三インチポンプ車二台を各保有し、甲南コンクリートポンプ工業あて車種を指定して注文の入つた場合は、四インチポンプ車に関しては被告浦川が同工業の浦川班として、三インチポンプ車に関しては訴外田垣が同工業の田垣班としてそれぞれ工事の完遂に当り、車種の指定なき場合は、受注工事の内容に応じて両名が仕事を分担することとし、もつて訴外田垣は甲南コンクリートポンプ工業田垣班として被告浦川と提携して同工業の受注工事を担当するようにしていた。しかして訴外田垣は、甲南コンクリートポンプ工業の営業所から二、三〇〇米離れた所にある神戸市東灘区本山町田中町の浦一番地の訴外松田組所有地を借り受けて、仮事務所と駐車場を設け、かつて被告浦川のもとで働いていたことのある被告後藤ほか若干名の使用人をおき、対外的には甲南コンクリートポンプ工業田垣班としての営業活動により得た収益によつて、被告浦川とは別個独立に自らの営業を維持推進していたものであるが、甲南コンクリートポンプ工業の事務経費の一部負担金および顧問料の意味において、訴外田垣より被告浦川あて毎月八万円ずつ支払つている。

(3)  被告車の運転席外側には左右とも甲南コンクリートポンプ工業と黒書されており、同工業の電話番号が表示されているほか、訴外田垣は甲南コンクリートポンプ工業営業部長の肩書と同工業の営業所を本店とし、田垣自身の営業所を分店とする旨表示された名刺を使用し、同工業田垣班なる縫い込みのある作業着を着用し、被告浦川は訴外田垣が営業活動上甲南コンクリートポンプ工業なる名称を使用することを承諾していた。

以上の各事実が認められる。右各認定事実によれば、被告浦川は、訴外田垣が単に営業上甲南コンクリートポンプ工業なる名義を使用することを承諾していたにとどまらず、むしろ対外的には甲南コンクリートポンプ工業の名称下に右訴外人と緊密な協力関係を保持し、一体となつて営業活動に当り、訴外田垣に対しては、対価を得て甲南コンクリートポンプ工業の有する信用を利用させることによりその営業の維持を可能ならしめるとともに、自らもまた、右の協力関係を保持することによつて営業上の利益の増大を計つていたものであつて、訴外田垣が被告車を購入するに際して、これにその信用を貸与して便宜を計つたことも、右の協力関係の作出、ひいては自らの営業上の利益増大を企図したことに出たものと解される。そして被告浦川と訴外田垣の右の関係に、右両名間にかつて長期間にわたる雇傭関係の存したことおよび被告浦川の資力、信用など諸般の事実を考え合わせると、本件事故当時、被告浦川は被告車使用による訴外田垣の営業に対し決定的な影響力を有し、ひいては被告車の運行それ自体を支配し得る地位にあつたということができる。前記認定事実によれば、訴外田垣は実質的には被告浦川と別個独立に営業をなしており、専用の駐車場を有していたというのであり、また前記証人田垣定安の証言ならびに被告浦川昭本人尋問の結果によれば、被告浦川、訴外田垣各保有車輛の鍵は各自別個に保管し、燃料費は各自負担し、各保有車輛を相互に使用し合うことはなかつたことが認められるが、これらの事実だけではいまだ被告浦川の被告車に対する運行支配を否定するに足りない。

そうすると、被告浦川は自賠法第三条に規定する被告車の運行供用者ということができる。

(二)  事故発生の経過及び免責の抗弁について

被告浦川は、被告後藤には被告車の運転上過失はなく、本件事故はもつぱら被害者亡澄雄の過失により惹起されたものである旨主張するので、この点につき検討する。

(1)  〔証拠略〕を総合すると、次の事実が認められる。

(イ) 本件事故現場は、別紙図面のとおり国道二号線(阪神国道)とこれに神戸市東灘区本山町田中町の浦一二番地付近にて南北に通ずる道路がほぼ直角に交差している交差点内である。右阪神国道は道路中央に幅員四・八米の阪神電鉄国道線の軌道敷があつて、その南側に幅員七・西米の西行車道と幅員四米の歩道があり、その北側に各同一幅員の東行車道と歩道がある。右南北に通ずる道路の本件交差点より南に通ずる部分(以下、南に通ずる道路という。)は幅員四・八米であつて、各道路ともアスフアルト舗装がなされている。本件交差点の南側付近の状況は、南に通ずる道路を狭んで、その東側には松浦工業のコンクリート塀と建物が阪神国道南側の歩道の南端を画する線上にあり、その西側には右の歩道に面して内外鉱油のガソリンスタンドがあつて、南に通ずる道路に近接して歩道の東側北端に鉄柱がある。本件交差点には信号機が設置されていないうえ、南に通ずる道路は幅員が狭く右各建物と鉄柱があるため、阪神国道を西進して来た車輛はその直前に至らないと本件交差点の存在に気付き難い状況にある。(本件事故時のような夜間にあつては、なおさらである。)阪神国道の規制速度は時速五〇粁である。

(ロ) 亡澄雄は、西宮市平松町五の二四原告永田徳治方から神戸市灘区鶴甲二丁目西鶴甲団地五号館四〇六号の自宅に帰るため第二種原動機付自転車(ホンダカブ号四三年式五五cc)を運転して前記日時ごろ事故現場の西行車道を東から西へ進行していた。澄雄は本件交差点を東から西へ直進する予定であつた。

(ハ) 被告後藤は、前記日時ごろ左側の助手席に訴外古館を同乗させて被告車(コンクリートポンプ車、ふそう四一年式、車輌総重量五、三九五キログラム、長さ五・五四米、幅員二、一〇米、高さ二・五二米、運転席は普通乗用車に比べて高く、コンクリート圧送用機械器具を積載しているため運転席からバツクウインドを通して自車後方を見通すことができず、室内ミラーは使用できない。)を運転し、西行車道を東から西へ時速約四〇粁で進行した。被告後藤は、本件交差点で左折南進して訴外田垣の駐車場に向うべく、本件交差点の手前の側端から約五〇米の地点で方向指示器(車体の運転席前部附近の左右及び車体の後部左右に点灯式のものがある。)により左折の合図をし、別紙図面の<2>点(本件交差点の手前の側端から約三〇米の地点で、西行車道の南端から北へ約二・二米の地点。)あたりで左フエンダーミラーで左後方を確かめたが、後続車両を認めなかつたし、助手席の訴外古館が「左オーライ」と言つたので安心し、それからのちは左横及び左後方の交通の安全を確認しないまま<3>点(<2>点から西方約二五・八米、西行車道の南端から北へ約一・九三米の地点)あたりでブレーキを踏み減速(ただし、車両が直ちに停止することができるような速度に至るまで減速しなかつた。)して、左にハンドルを切り左折をはじめたところ、X点(<3>点から直線で約六・三五米の地点)あたりで接触音がしたのを聞いた。それで、被告後藤は訴外古館に「何んや。」と聞くと、同人が「アカンわ。」と言つたので驚き、急ブレーキを踏み、<4>点(Xから<4>点までの距離は約六・八五米)に被告車を停止させた。被告後藤は接触音を聞くまで原告単車に乗車した澄雄に気づかなかつた。澄雄は<イ>点に頭を南に向けて左横に倒れ、左顔面は路面で擦れ左耳から出血し、<ロ>点には原告単車が転倒していた。澄雄は脳内出血、左耳介裂創、顔面及び左頸部擦過傷、前胸部挫傷及び擦過傷の傷害を受けて同日死亡した。X点から南へ三・九米の地点より長さ一米にわたつて原告単車が転倒の際生じたと思われる擦痕が残されていた。被告車の左前車輪タイヤー外側に高さ約〇・六七米の位置に白色塗料が長さ約六糎にわたつて線を引いたようにわずかに残されているのみで、他に損傷個所は全く認められなかつた。原告単車は、右マフラ擦凹損、前風防ガラス破損、右ステツプ曲損、後部荷台に取付けているツールボツクス右後部の地上から約〇・六七米の個所がわずか擦損して白色塗料が若干取れていた。ヘツドライト、ブレーキ、ハンドル等はいずれも異常がなかつた。

以上の事実が認められる。〔証拠略〕中、右認定に反する部分は前掲証拠に照らし信じ難く他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(ニ) 以上の事実によると、被告後藤は、左折の合図をし、本件交差点の手前の側端から約三〇米の地点あたりで左後方の交通の安全を確認したのち、被告車を西行車道南端から約二米の間隔をおいて西進させ、かつ、徐行することなく進行したこと、被告後藤は、別紙図面の<3>点あたりで左折をはじめるに際し、左側及び左後方の交通の安全を確認せず、かつ左折に際し直ちに停止することができるような速度にまで減速(徐行)しなかつたこと、被告後藤が左折をはじめて間もなく、原告単車の後部荷台に取付けているツールボツクスの右後部と被告車の右前輪タイヤー外側と接触したこと、従つて、原告単車と被告車とのみぎ接触直前には被告車のやや左前方に原告単車があり、被告車が左折をはじめた<3>点あたりでは両車両が並進または並進に近い状態であつたと思われること、被告後藤は両車両が接触してはじめて澄雄に気づいたことが、いずれも認められる。被告後藤は、その本人尋問において、本件交差点で左折するに際し、左フエンダーミラーにより左側後方を確認した旨述べているけれども、交差点の手前で内外鉱油(別紙図面参照)にて給油すべきか否かにつき同乗の古館と会話を交していたことは同被告の自ら述べているところでもあるし、〔証拠略〕に照らし、右供述はたやすく措信できない。

右のように左折の信号を出していたとはいえ、道路南端より約二米の間隔をおいたまま約五〇米西進しており、左折すべき道路が東方から西進する自動車の運転者にとつてわかりにくいという道路及び交通の状況のもとにおいては、コンクリートポンプ車の運転者としては左折するに際し<3>点で左側及び左後方の交通の安全を確認し、その方向に直進車があり衝突の危険があるときは、その状況に応じ直進車の停止もしくは通過を待つてから徐行して左折すべき注意義務(安全運転義務)があるものといわなければならない。そうすると、本件事故の発生につき、被告後藤に右の注意義務を怠つた過失があるものというべく、また被告後藤が右の注意義務を守つていたならば、本件事故の発生を未然に防止しえたものと推認するを相当とするところ、

右推認を覆えすべき証拠はない。

(2)  以上のとおりであるから、被告浦川の自賠法第三条但書の抗弁は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

よつて、彼告浦川は自賠法第三条により澄雄の死亡によつて生じた後記損害を賠償すべき責任がある。

(三)  被告後藤の責任

本件事故は被告後藤の前示過失により生じたものであるから、被告後藤は民法第七〇九条により澄雄の死亡によつて生じた後記損害を賠償すべき責任がある。

(四)  亡澄雄の過失の有無(被告らの過失相殺の主張につき)

被告らは、澄雄が原告単車を運転して時速約五〇粁を超える速度で進行してきて被告車の左側を追い越そうとした過失があると主張するので判断する。

〔証拠略〕は右主張にそうところがあるけれども信じ難い。(もつとも、前記(ハ)の事実によると、原告単車の転倒した際生じたと思われる路面の擦痕が西行車道の南端から南へ約四米の地点よりはじまつていることが認められる。しかし、〔証拠略〕によると、被告後藤は原告単車とあたつてはじめて気付いたので、原告単車がどちらからきたかよくわからないと述べていることが認められるし、事故当時の目撃者も見あたらないし、澄雄も死亡しているので、路面の擦過痕が西行車道の南端から南へ約四米入つた地点からはじまつているとの一事から被告らの右主張を肯認することは出来ない。)

ところで、原告単車が道路のどの辺をどの程度の速度で西進してきたかは証拠上明らかでないが、前記(二)(1)(ハ)の認定事実、すなわち被告車は<3>点あたり(接触地点と思われるX点より東北方へ直線で約六・三五米距てた地点)でブレーキを踏み減速して左にハンドルを切り左折を開始したこと、原告単車と被告車との衝突地点(X点)は西行車道の南端より南へ約一・四五米進んだ南に通ずる道路の東寄りであり、原告単車の倒れていた地点は右X点の南方約四・九〇米、亡澄雄の転倒していたところは右単車転倒地点の南方約二米の地点であつたこと、原告単車のツールボツクス右後部と被告車の左側前輪とが接触したと認められることから推考すれば、亡澄雄は被告車が左折を開始したため急遽原告単車のハンドルを左に切り被告車の転向方向に沿い被告車に並行して左折したが右接触地点あたりで右のとおり原告単車のツールボツクスが接触したため重心を失い倒れかかりながら路面に約一米の擦過痕をつけて南へ進み、その弾みで澄雄の身体は原告単車より離れて南へ飛んだものと考えられるので、少くとも被告車が左折を開始して以後における被告車の速度と原告単車の速度とを比較すれば、その限りにおいては原告単車の速度が被告車よりも早かつたものと推測される。そして原告単車の右のような接触転倒に至るまでの経過に照らし、被告車が左折を開始した時点において原告単車が被告車の運転席よりも前方へ進出していたものとは認めがたいので、亡澄雄は被告車が左折を開始する以前に少くとも被告車の出していた側面の左折信号(車体の左側前方にある信号灯の信号)を認識し被告車の動向に注意を払うことのできる位置関係にあつたものと推認すべきである。しかるに亡澄雄は、被告車の出していた前記の左折信号に気付かず、被告車はそのまま西進するものと考えて被告車と同程度の速度で併進中前記<3>の地点で被告車が左にハンドルを切つたことにより初めて左折することを知つたものか、もしくは本件事故現場に南へ延びている道路のあることを知らなかつたため被告車の左折信号は認めながらも、被告車が左折するのは更に西方の交差点であると考え、被告車の左側を併進し、もしくは追い抜こうとした矢先きに被告車が予想に反し右<3>点で左折を開始したことに驚き、急制動措置をとる余裕もなく、急遽ハンドルを左に切り被告車に沿つて左折したものか、以上のいずれかにあたるものと推認するのが相当である。もつとも、被告車が左折信号を出したまま前記<3>点の直前で先行中の原告単車を追い抜いたうえ<3>点で左折を開始したという想定が全くなり立ちえない訳ではないけれども、被告車の速度は前認定のとおり少くとも<2>点までは時速四〇粁程度で進行していたのである(同点より<3>点までの間において左折開始の準備として減速したことは推測しえても、加速したことは到底考えることができない。)から、右<2>点より左折開始の<3>点までの間約二五・八米の間に先行中の原告単車を追い越しえたものと仮定すれば、原告単車の速度は時速二五粁以下でなければならないこととなるところ、原告単車が55ccの排気量をもつ原付自転車であるとはいえ通常の進行速度としては遅きに過ぎるものというべく、しかもまた、被告車の運転手後藤が左側方を先行中の原告単車を追い抜くや否やその直前で急遽左折したものと想定することは、特段の事情ないしは右無謀運転の行為自体が証明されないかぎり、たやすくは推認しがたいものというべきである。

以上の判断に従えば、原告単車を運転していた亡澄雄は、前記<3>の左折地点までの間に被告車の左折信号を知りうる状況にあつたものと推認すべく、そして左折しようとする車両が道路の左側に寄ろうとして手又は方向指示器による合図をしたときは、その後方にある車両は合図車の進行を妨げてはならない(道交法第三四条五項)のであるから、仮に亡澄雄が本件事故現場にあたる南に通ずる道路の存在を知らなかつたため、被告車が右<3>の地点で左折することを予測せずに被告車の左側を併進していたものであるとしても、既に右側方の被告車が左折の信号を出しているかぎり、減速徐行して被告車を先行させたうえその右側を追い抜くか、または常に被告車の動向に注意を払いつつ進行し、被告車が左折を開始してもこれとの衝突をさけるために必要な速度と方法で併進すべき注意義務があり、またもし、被告車の左側方を追い抜こうとする場合には、まず響音器等により追い抜きの合図をなし、これに対する被告車の応答を得たうえで追い抜きを開始すべき注意義務があるものというべきところ、亡澄雄は右いずれかの注意義務を怠つた結果、被告後藤の前記過失と相俟つて本件事故の発生をみるに至つたものと推認すべく、右推認を覆えすべき証拠はない。

三、損害

(一)  亡澄雄の逸失利益 一、四四五万九、六二〇円

〔証拠略〕の結果を総合すると、亡澄雄は昭和三四年三月神戸市交通局に採用され、本件事故当時市営バス運転手として同局に勤務し、昭和四三年分給与所得源泉徴収票によれば同年中に一一四万四、九三六円の支払いを受けたこと、神戸市営バス運転手の場合、満五七才で定年に達し爾後自家用運転手などとして第二の職場を求めてゆく者が多いこと、亡澄雄は昭和一四年七月一三日生れであり、本件事故による死亡当時、満二九才の健康体であつて家庭には妻原告永田和子(二九才)、長男原告永田毅(一才)がおり、亡澄雄の右賃金のほか他に収入はなかつたこと、以上の事実が認められる。

さて第一二回生命表によれば二九才の男子の平均余命は四一・八二年であるところ、右認定事実によれば、亡澄雄もまた本件事故に遭遇しなければ右同年数生存するであろうこと、そして満五七才に達するまで神戸市交通局に勤務して少くとも毎年一一四万四、九三六円(一カ月九万五四一一円強)の収入をあげ定年退職後なお約六〇才に達するまでの満三年間自家用車等の運転業務につき収入をあげることができたものと推認される。しかして本件事故時における亡澄雄の年令、勤務年限を考えると、亡澄雄は本件事故に遭遇しなければ定期昇給その他により逐年収入が増加するであろうことが明らかであるにも拘らず、事故時における収入をもつて定年に達するまでの全期間の収入算定の基礎として固定する本件においては、右定年退職後の収入についても毎年右同額の収入をあげ得るものと認めて差支ないと考える。従つて、亡澄雄は事故時から三一年間にわたつて毎年一一四万四、九三六円の収入をあげ得たものと認める。

ところで、一般的に世帯主の生活費は交際費、教養娯楽費その他の諸支出をもこれに含め、収入に対する支出として包括的に考えると、他の家族員のそれをかなり上回るものと考えられ、子の成長、進学等に従つて子に要する諸支出も増大するものの、世帯主もまた年令の推移に伴い職場、社会における地位、環境に変化を生じ、支出の増加が予想されるのであるから、世帯主の生活費の全家族の生活費中に占める割合は恒常的に高率を示すものと考えられる。そして総理府統計局家計調査による昭和四三年における年収一〇〇万円から一一九万九、九九九円までの勤労者世帯一世帯(世帯人員数平均四・一一人)あたり平均一か月間の消費支出額は七万一、七五〇円であること、右認定の亡澄雄の家族構成等を考慮して、亡澄雄の生活費は一月三万円、一年三六万円と定めるのが相当である。

よつて、亡澄雄の前記年間収入額一一四万四、九三六円から年間生活費三六万円を控除すると、七八万四、九三六円となる。従つて、七八万四、九三六円の三一年間相当額からホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除し、亡澄雄の得べかりし利益額を算出すると、次のとおり一、四四五万九、六二〇円となる。

784,936×184,214=14,459,620(円)

原告永田和子及び原告永田毅は各法定相続分に従つて澄雄の得べかりし利益を相続したものであるから、その額は、原告永田和子につき四八一万九、八七三円となり、原告永田毅につき九六三万九、七四七円となる。

(二)  葬儀費用等 七万五、一六〇円(原告和子負担)

〔証拠略〕によれば、原告永田和子は亡澄雄の金沢病院における診療費九、六六〇円、診断書作成費一、一〇〇円、葬儀費用六万四、四〇〇円、計七万五、一六〇円支出したことが認められる。

(三)  慰藉料 (合計三三〇万円)

〔証拠略〕によれば、原告永田徳治は亡澄雄の父、同永田千鶴子はその母であることが認められる。そこで、亡澄雄の死亡時における年令、職業、収入、家族構成、死亡の態様その他の事情を考慮し、原告ら遺族の受けた精神的苦痛に対する慰藉料として、次の各金員をもつて相当と認める。

原告永田和子 二〇〇万円

同永田毅 一〇〇万円

同永田徳治 一五万円

同永田千鶴子 一五万円

(四)  過失相殺

以上(一)から(三)までの損害額合計は、各原告につき左のとおりとなるところ、前示二(四)の亡澄雄の過失を賠償額の算定上斟酌し、被告らの賠償すべき額はその六〇%にあたる次の最下欄記載の金額と認める。

<省略>

(五)  損害の填補(合計三〇一万〇五六〇円)

自賠責保険金により、原告永田和子に対し一〇一万〇、五六〇円、原告永田毅に対し二〇〇万円各支払いのあつたことは右原告両名の自認するところであるから、右原告両名の損害額から右各金員を控除することとし、原告永田和子は四一三万七、〇二〇円から右金員を控除すると、三一二万六、四六〇円となり、原告永田毅は六三八万三、八四八円から右金員を控除すると、四三八万三、八四八円となる。

(六)  弁護士費用

被告浦川の運行供用者責任の有無、被告後藤の過失の存否など本件事案の特殊性を考慮し、神戸弁護士会報酬規定を参酌して、本件事故と相当因果関係のある弁護士費用として、着手金をも含めて(但し、いずれも未払いである。)、原告永田和子が二三万円、同永田毅が二五万円、原告永田徳治、同永田千鶴子が各一万円をもつて相当と認める。

よつて、原告らの損害は、原告永田和子が三三五万六、四六〇円、原告永田毅が四六三万三、八四八円、原告永田徳治、同永田千鶴子が各一〇万円となる。

四、結語

以上の次第であつて、原告らの各請求は、被告ら各自(被告両名の債務は不真正連帯)に対し、原告永田和子が金三三五万六、四六〇円およびこれより弁護士費用を除いた内金三一二万六、四六〇円に対する本訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな被告浦川につき昭和四四年六月二一日から、被告後藤につき昭和四四年六月二二日から、原告永田毅が金四六三万三、八四八円およびこれより弁護士費用を除いた内金四三八万三、八四八円に対する右各同日から、原告永田徳治、同永田千鶴子が各金一〇万円およびこれより弁護士費用を除いた内金九万円に対する右各同日からいずれも完済に至るまで各年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるから、正当としてこれを認容することとし、被告らに対するその余の請求はいずれも理由がないから、失当としてこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を仮執行の宣言につき同法第一九六条を、各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 原田久太郎 竹田国雄 岡本多市)

別紙 <省略>

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